ひぐらしのなく頃に 影潰し(かげつぶし)編 ---------------------------------------------------------------------------------------------- ■第一章 刑罰と悪鬼 「お願いです…お願いです…ゆ、許して下さいよ…!上納金に手をつけたのは謝ります…!!」 「……」 「使い込む前に耳を揃えてお返ししました!!…だから、だから…もう勘弁して下さい!!」 冷たく静まりかえった園崎家の地下祭具殿に不釣合いな哀願の声が響き渡る。 派手なアロハシャツにパンチパーマ頭の、いかにもチンピラといった出で立ちの男が十代の少女に命乞いをしている。 傍から見れば、それはひどく滑稽な光景だっただろう。 だが、その場には笑い声が起きるどころか、黒づくめの男達が無表情で事の成り行きを見つめている。 土下座をして哀願する男の前には、無表情で佇む着物姿の少女が無言で立っていた。そしてその奥には、するどい眼光を たたえた老婆が不愉快そうに事の成り行きを見守っている。 この場の決定権は、この少女に委ねられていた。地下祭具殿に集められたいかにもヤクザという出で立ちの男5人は、 誰一人言葉を発さないまま、少女の次の言葉を黙って待機していた。 「…安田…。」 「はっ、はぃぃぃぃ!!」 安田と呼ばれるチンピラ風の男は土下座の頭を上げず、怯えきった情けない声を上げた。 「あなたのしでかした行為に、当主は大変立腹しています。」 「ごもっとも、ごもっともでございます!!で、ですが…10本というのはあんまりです…!ど、どうか御慈悲を!!」 涙と鼻水に塗れた情けない顔で懇願するありさまは、もはや形振り構っている顔では無かった。 「黙りなさい」 「ひっ!ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」 「園崎家当主は、その命でけじめをつけろと仰られています。ですが、周囲の懇願で10本にして頂いたのですよ?」 「ううう…ひぃぃぃ…」 「もしそれが不服なのでしたら、他の方法を選びなさい。ただし、指10本では済まない事を覚悟しておく事です。 片腕、もしくは…」 「わ、わかりましたぁっ!!おありがとうございます!!じゅ、10本のけじめでありがとうございますぅぅ!!」 「そうですか。では早くなさい。これ以上無駄に時間を引き伸ばして、当主のご機嫌を損ねないうちに。」 黒ずくめの男二人が、土下座する安田の近くに金属製の手甲を転がした。 それは一見手甲に見えるが、指先の部分に固定用の皮ベルトと指先から30センチ程の金属棒が生えており、どう見ても 本来の用途とはかけ離れているいびつな代物だった。 ぐしゅぐしゅと鼻をすすりながら、安田は両手に奇妙な手甲を取り付ける。恐怖で指に皮ベルトが上手にはめられないのか、 モタモタする有様を見て、座敷奥の老婆は不愉快そうに舌打ちをする。 「用意が出来たのならば、早く始めなさい。」 「は…はぃぃ…で、ではけじめをつけさせて頂きます…!!ふんんっ!!」 安田は手甲から生えている金属棒を、勢いよく捻った。人体の構造上、曲げてはならない方向に。 ボリッ 篭もった破砕音が祭具殿に軽く響くと同時に、安田の人差し指がありえない方向に曲がっている。 「ぐぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!ぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!」 「…あと9本です。手短に済ませなさい。」 「ぐぅぅぅぅぅ・・・・・・ああああぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・!」 安田は凄まじい激痛に泣き叫びながらも、この惨い光景を目の当たりにしながら顔色一つ変えずに更なる指折りを催促する 少女に、心の底から恐怖していた。そして、残りの指9本を折り終わるまで、この恐怖は続く事になる。 この冷たい眼差しから開放されるのならば、一刻も早く残りの指を全て折ってしまった方がいい。そう思わせる程に、少女は 無表情で恐ろしい存在だった。 それから30分近くの間、破砕音と悲鳴の入り混じった奇妙な音だけが、園崎家の地下祭具殿を支配していた。 「…さて、10本折り終わったようですので、これでけじめはついたものとします。当主、よろしいでしょうか」 「もうええわぁ。くだらん手間かけさしょって、だあほが」 「では、これにてお開きとさせて頂きます。皆様、お疲れ様でした。」 「うぁぁぁ…あ、ありがとうございましだぁ…ありがどうごじゃいましだぁ…」 この地獄からやっと開放される。両手の激痛よりも、精神的に開放された安堵感の方が強かった安田は泣きじゃくりながらも 無様な土下座を何度も何度も繰り返した。 皆無言で、地下祭具殿の座敷より一列に並んで退出しようとする。老婆を護衛するように黒服の男達が退出し、祭具殿に 残っているのは少女と安田だけになった。 これで、これで終わったんだ…関係者が退出し終わるまで土下座しながら、ぶくぶくに膨らんだ両手で涙と鼻水を拭い続けていた 安田に少女はぴしゃりと言い放った。 「それから安田。あなたが今日汚したここの床全てを綺麗に掃除しなさい。…今すぐに。それが終わるまでここから退出する事は 許しません。」 その瞳はあくまで冷たく無表情だった。だが、口元にわずかだけ残酷な笑みを湛えていた…。 ■第二章 週末の過ごし方 カラーン、コローン。 校長の鳴らす鐘の音が週末の放課後を告げた時、クラスの中はわいわいと喧騒に包まれる。 今日は学校にいるみんなも心なしか表情が明るい。かくいう俺も口元が緩んで仕方が無い。 そう、今週末は日曜が祝日で月曜日が振り替え休日なのだ!あいにく俺はブルーマンデーには縁の無い充実した学生生活を 送っているが、それとこれとは話が別ってもんだ!土曜日の半ドンから日月への2連休コンボはやはり嬉しいものだ。 例えて言うなら、うな丼を美味しく食べていたら御飯を半分食べた所でひつまぶしの鰻がひょっこり顔を出した。 そんな感じだろうか。いや待て、エビフライってのも捨てがたいな。いやいやここはひとつトンカツというのも…。 「どーしたの圭ちゃん、ニヤニヤして。エッチな事でも考えてるんでしょー。いやー、年頃の男の子のモヤモヤした情熱って 抑えられずに苦労するんだよねー。おじさんには良く解るよ。うんうん。」 「魅音…お前も年頃の娘なんだから、もうちょっとお上品な例えをしたらどうだ。俺があげたお人形さんが泣いてるぜ。」 「え…や、やだなあ圭ちゃん。あんなのおじさんには似つかわしくないシロモノだよ。ま、全く困っちゃうなあ。」 相変わらず嘘の下手な奴だ。悪態を付きながらも声は上ずり、耳まで真っ赤になっている。 「なになに?圭一くんは何で機嫌がいいのかな?かな?」 「おうレナ。よくぞ聞いてくれた。今週末は土曜日の半ドン+2連休という、俺達学生には滅多に無い休日コンボだぜ?これが 嬉しくない訳ないじゃないか!どんなゴージャスな休日を過ごそうかと画策していたところだ。」 「あーら、圭一さんの休日の過ごし方といっても、家でぐうぐう寝ているかマンガを読んで終わるんじゃありませんのー?」 「ボクもそう思うのです。圭一は今月頭にお小遣いを使い果たして、大ピンチなのではないですか?」 ぐっ。沙都子も梨香ちゃんも何気に鋭いな。…そう、今月の俺には休日という素敵な素材を持っていながらも、それを満喫する お金という調理器具が存在していないんだ!嫌だ嫌だ!今から暗い休日を過ごす光景が頭の中をどんどん支配していくではないか! 「なーに?圭ちゃんお金無いんだ?あはは、可哀想にねー。おじさん良かったらお金貸してあげてもいいよー?」 「…遠慮しとく。魅音に金を借りると、来月には法外な利子が上乗せされて自宅を差し押さえされかねないからな。」 「じゃあ、レナがお弁当作ってあげるから魅ぃちゃん家の裏山でピクニックでもどうかな?かな?いいよね、魅ぃちゃん。」 キラーンと魅音の目が輝く音が聞こえて来た気がする。ヤバいな、こいつがこういう表情をする時は部活絡みでとんでもない事を 思いついた時だけだ。 「チッチッチ、レナは甘いなー。うちの裏山は軽々とピクニック出来るような甘い観光スポットじゃないんだよー?どうしても 使うってんならもっとスリリングでエキサイティングなイベントとして使用して欲しいもんだねー。例えば、1日勝負の自炊 サバイバルとか。あっはっは!」 「魅音。俺を甘く見てもらっちゃ困るぜ?都会育ちとはいえ、男前原圭一!1日勝負のサバイバルなんて朝飯前ってもんだ!」 「おー、大きく出たね圭ちゃん。無理しなくていいよー?あたしやレナ・沙都子や梨香ちゃんみたいに自炊出来るんならまだしも、 圭ちゃんの得意料理ってカップラーメンだけじゃん。それをサバイバルって言うのかなー?」 「おっと、そこまで言うなら勝負するかい?俺と魅音でサバイバル対決。悪いが魅音ン家の山の幸を根こそぎ集めて豪華フルコース を満喫出来る程度の自信はあるんだぜ!山の幸、全部取られたーっ、て苦情はいいっこ無しだからな?」 「なんだか面白そうだね、圭一くん。レナも混ぜてもらっていいかな?かな?」 「あれれ、レナも話に乗って来るとはねー。よーし、今週末はうちの裏山でサバイバル対決ってのはどう?用意する食材は調味料 のみの一日勝負。食材調達の装備に制限は無し。あ、調理用具とカセットコンロぐらいは用意させてもらうよ。どう、沙都子と 梨香ちゃんは参加できそう?」 「ボクはこう見えてもサバイバルは得意なのです。食べられる野草とかにも詳しいのですよ。先日も近所のおばあさん達と 山菜取りに連れて行ってもらったばかりなのですよ。」 「をーっほっほ!わたくしもですわー。野草の見分け方なんてお茶の子さいさいですのよー?」 「沙都子ちゃん、ブロッコリーとカリフラワーの区別はつくようになったのかな?かな?」 おいおいレナ。にっこり笑っている割には随分辛辣なツッコミだな。 「…どちらも山には生えていないから大丈夫ですわ。…たぶん。」 それでいいのかよ! 「よし決まり!沙都子と梨香ちゃんは年齢的なハンデとしてペアでいいや。おじさんとレナ、そして圭ちゃんは一人で戦う。 ルールは日曜日の朝から夕方の6時まで。裏山の食物を自分で調理して、お昼と夕方の食事時間に各自の作ったご飯を採点 しあうってのでどう?」 「レナはそれでいいよ。」 「俺も意義なしだ。」 「ボクも意義なしなのです。」 「わたくしがハンデを頂くのは釈然としませんが…よろしいですわよ?」 「わかってるとは思うけど、圭ちゃん。負けたらキツーい罰ゲームが待ってるんだからねぇ〜?」 「魅音こそ、罰ゲームの覚悟をしておいた方がいいぜ?」 虚勢を張りつつ、俺はみんなと一緒に帰り支度を始めた。だが、皆が教室から出る時になっても魅音はぼんやりとしていた。 「おい魅音、何してんだよ。早く一緒に帰ろうぜ?」 「あ、ごめんごめん!いやー、明日の作戦を色々考えちゃってさあ!あっはっは」 俺はその時、夕焼けごしに見える魅音の横顔が、寂しそうな笑みを湛えたように見えた。それはとても美しく、どこか儚げだった。 こいつ、こんな顔をする事があったんだ… ■第三章 悪夢 その晩、私は夢を見た。いつもの嫌な夢だ。 園崎家の地下祭具殿で、残酷な刑を眉一つ動かさず執行するもうひとりの私。その姿は私だけど、私じゃない。 園崎家の次期当主としての振る舞いはそれにりに板に付いてきたが、この地下祭具殿の刑罰執行はどうしても慣れる事が 出来なかった。 何度やっても声が上ずり、血がタイルに飛び散った瞬間に顔を背けてしまう。 そんな姿を婆っちゃは次期当主としての体面に関わると、後で何度も怒鳴りつけられた。 そんな事を繰り返しているうちに、いつからか私の中に奇妙な人格が存在していくのを感じていた。 その人格は、冷静で残酷。感情は表に出さないが、血飛沫や悲鳴を聞くと嬉しさのあまりケタケタと笑い出す。 いつまでも次期当主としての冷酷さを身に付けられない私は、いつしか別の人格を生み出してしまっていたのかも知れない。 けれども、それは私にとっても好都合だった。刑罰執行の時だけこの人格に委ねれば、陰惨な刑罰はいつの間にか問題なく 終わっていたからだ。 返り血を全身に浴び、肉片を弄んでゲタゲタと狂った様に笑うもう一人の私。 「いひひっ・・・ひひひひひ!!ザコの肉は食い飽きた!園崎魅音!弱っちいあんたという人格、あたしが全部食ってあげるよぉぉぉぉ!!!!!!!」 「……っ!!!!!」 布団から跳ね起きて気が付く。…また、あの夢か…。 気が付けば、いつもの私の部屋だった。壁掛け時計の針は午前2時過ぎを指している。 寝汗が寝間着にべっとりと張り付いて気持ちが悪い。だが、さっきの光景が夢だった事に安心してため息をもらす。 窓を開けて、胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込んだ。それでも狂った笑い声は頭の片隅でこだましている。 誰に言うでもなく、私はぽつりと呟いた。 「私はいったい、どうなっちゃうのかな…」 ■第四章 自炊サバイバル さて、俺達は園崎家の裏山に全員集合し、イベント開始前の説明を魅音から受けていた。 一通り説明し終わった後、魅音は俺の方を見てニヤリと笑うととんでもない言葉を言いやがった。 「さあ〜て、圭ちゃん、悪いけど身体検査をさせてもらうからねぇ〜?」 「なっ、何ぃ!?聞いてないぞそんなの!」 疑り深い魅音は俺だけ綿密に身体検査をやりやがった。それも随分綿密に。ああっ!やめてくれ! これじゃお婿に行けなくなっちまぅぅ!! 「よし、圭ちゃんもズルはしていないようだし、もうすぐお待ちかねのスタートとしようかね!」 「ハァハァ…み、魅音、俺は悲しいぞ。同じ部活の仲間を信頼せず、あまつさえ俺だけ身体検査なんてやりやがって。」 「圭一、かわいそかわいそなのです。」 「魅ぃちゃん、手つきがセクハラおじさんみたいでちょっといやらしかったかな。かな。」 「まあまあ、年頃の女の子に体中調べられるという貴重な体験をしたという事で許してよ。ほんとはちょっぴり 気持ちよかったんじゃないかな〜?」 実のところ、ズボンの中に非常食としてソーセージでも隠してやろうかと本気で思ってたが、断念した。 試しにやってみたところ、鏡に映った自分の股間が必要以上にモッコリしており、不恰好極まりなかったのと、 そんな部分に押し込んだ食材を口にするのは色んな意味で嫌過ぎるからだ。 しかも魅音の身体検査中に見つかったとなれば、その誤解は別な誤解へと発展しそうだったというのもある。 「それでは魅音さん、私達はいつでも準備OKでございましてよ〜?」 「ボクも準備万端なのです。」 「レナもOKだよ〜」 「よおし、それじゃお昼12時にここの仮設キッチンにみんな集合ね。用意、…スタート!!」 陸上競技用のピストルのパーンと乾いた音が響き渡った瞬間、みんなは思い思いの場所にダッシュしていった。 魅音は釣り竿とナイフ一式を持っていた事から、池で魚でも釣る気なんだろう。梨香ちゃんは軍手とビニール袋、 沙都子は何と手ぶらだ。聞いた話では前日にトラップを大量に仕掛けていたらしいから、後はトラップに掛かった 獲物を確認するだけなんだろう。…予想はしていた事だが、思いの他苦戦しそうだぜ…! レナは…背中に背負った大鉈だけだ。あいつは一体何を捕獲しようとしてるんだろうか。人間じゃなければいいんだが。 さてと、大見得切ったはいいが、俺はどうしようか。何しろ自炊がまともに出来ない俺が野山で食料調達なんて夢のまた夢だ。 以前のカレー勝負の時みたいに、鍋の中身ごと強奪なんて荒業は使えないしなあ…。 いかんいかん、弱気になるな前原圭一!クールになれ!そして考えろ!野草の見分けが出来ないなら、肉メインで料理すれば いいじゃないか! 味付けは塩コショウ、豪快に丸焼き!よしこれだ!新鮮な天然素材の前には小賢しい味付け無しで十分渡り合えるはずだ! 閃いた名案を早速実行に移すため、俺は竹を切って槍状に加工した。よし!これでどんな獲物でも一撃だぜ! ……そして、12時がやって来た。お昼ご飯審査の時間だ。仮設キッチンで各人の料理が披露される。 「魚が結構沢山釣れてさ。焼き魚じゃ芸が無いんで、石釜焼きとお刺身にしてみたんだよ。」 「はう〜、ウサギさんやリスさんを見かけたんだけど、かぁいくて料理に使えなかったんだよ〜。でもでも、ウサギさんと リスさんはお持ち帰りぃ♪」 「野草と果物は見つかったのですが、お肉やお魚は調達出来なかったのですよ。」 「ああ〜!悔しいですわ!せっかくのトラップがことごとく破壊されてましたのよー!熊さんでも生息してそうな 雰囲気でしたわ、まったく!」 魅音は調味料の塩を大量に使って、魚の石釜焼きを作り、レナは新鮮な筍と野草でサラダだけみたいだ。 沙都子・梨香ちゃんコンビも似たようなサラダだけみたいだな。 「ところで圭ちゃん。それはどういう料理かおじさんに説明してくれないかな?」 俺の皿には、毒々しい色をしたキノコが2本ごろりと横たわっているだけだった。 結局、即興で作った竹槍に突き刺さってくれるほど、野生動物はノロマじゃなかったって事だ。 「マッシュルームの丸焼きだ。この美味そうな香ばしい香り、食欲をそそるだろう?しかもキノコってやつは カロリーゼロの健康食品。まさに女の子にとっては究極の食材!美味しくて太らない!こりゃ俺の勝ちみたいだな〜!!」 「圭一、それはベニテングタケと言って、食べたらお腹いたいいたいなのですよ。」 「をーっほっほ。さすがのわたくしでも毒キノコの見分けくらい付きますわ〜?」 「圭一くん、匂いは美味しそうだけど…さすがにそれはちょっと食べられないかな。」 …さすがに、俺の口先マジックでも食材が毒キノコではどうにもならなかったみたいだ。 「あはは、みんな出来たのはサラダだけみたいだね〜。お昼ごはんに関しては、おじさんの勝ちでいいよね? とりあえず沢山作ったからみんなおじさんの料理食べてよ。圭ちゃんもどう?毒キノコなんか食べて死なれでもしたら、 化けて出た圭ちゃんに何言われるかわかったもんじゃないしね。」 「遠慮しとく。これぐらいハングリーな方が、むしろ気合いが入るってもんだぜ!夕飯は豪勢なメニューを期待しとけよな」 素直に魅音の料理をわいわいと突付きあうみんなを尻目に、俺は精一杯の虚勢を張ってやった。 …これで腹の虫の音が鳴り続けなければちょっとは説得力あったんだがな。 空腹のままみんなの食事を終えるのを待つ間の時間は、まさに地獄の時間だった。ああ畜生!静まれ俺の胃腸! 「…そっか。うんわかった。んじゃ、洗い物はおじさんやっておくから、第2ラウンド開始だね!みんな頑張ってよ、 それじゃスタート!」 ピストルの音が軽やかに響き渡った瞬間、みんなはめいめいの場所を散っていった。 さてと、俺も本腰を入れて取り掛からなくちゃな。このまま最下位じゃ、あれだけの大見得を切った自分が恥ずかしすぎるぞ、 前原圭一! 「うおおおおおおおおおおお!!!!待ってろ山の幸ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!!」 フラつく足元をごまかしつつ、俺は全力で森の中に突進して行った。 ■第五章 意地っ張りのふたり 「…どうしていつもこうなっちゃうのかな」 私は食器を洗いながら、誰に言うでもなくぽつりと呟いた。 私が圭ちゃんを好きなのは、もうみんなにも薄々バレていると思う。それでも何故か自分の気持ちに素直になれず、 天邪鬼な態度をとってしまう自分が時々嫌になる。 わかっているんだ。もっと女の子らしく振舞って、素直に 「圭ちゃん、ふたりでどこか一緒に遊びに行こうよ。」と誘えば いいだけの話なのだ。 断られるかも知れないからと本心を隠して、からかったような口調で言ったって鈍感な圭ちゃんは気付いてくれない。 こういう時、レナの真面目さと女の子らしさが羨ましい。 あの子は肝心な時に自分の気持ちをまっすぐ伝えられるだけの勇気と実直さを持っている。 今回だって、レナのピクニックに賛成していれば、みんなで仲良く連休を楽しむ事が出来たはずなのに。 圭ちゃんをレナに独り占めされたくないというわがままな私の感情から、やりたくもないサバイバルごっこを 始めてしまったんだ。 少なくとも、今回はそんな騒々しいイベントよりも、圭ちゃんに私の手料理を食べてもらいたかっただけなのに。 けど、それすら私の心無い言葉で圭ちゃんのプライドを傷つけてしまい、彼はお腹を空かせたまま意固地になって何処かへ 食材を探しに行ってしまっていた。 そんな事をうじうじと考えているうちに、腕時計の針は3時を迎えようとしていた。食器を洗い続けていた手は、水で ふやけてしわくちゃになってしまっている。何度かこぼした涙のせいで、目が充血しているのが自分でもわかる。 「あっははは…なんか私、ばかみたい。」 とっくに洗い終わった食器をバケツに放り込んで、私は大の字になって草むらに寝転がった。 元々食事バトルなんかやる気はなかったんだ。 このまま逆転負けで罰ゲームだろうと、どうでもいい。私はただ、圭ちゃんと二人きりで休日を過ごし、手料理を 食べて欲しかっただけ。 ネガティブな思考が頭の中を満たし続け、いつしか私は浅い眠りに落ちていった…。 ガサガサ…ガサガサ… …何か近くの草むらから音がしている気がする。まどろみから開放されきっていない惚けた頭を働かせ、うっすらと 瞼を開けてみる。 な、何あれ!?ひょっとして…く…熊!? うっかり大声を上げそうになったが、辛うじてのところで声を噛み殺す。何て迂闊なんだろう。昼食の残飯の匂いを 嗅ぎ付けて熊が数メートル先に来ているなんて!焼き魚の残りなんて多寡が知れている。 あの残飯という名のオードブルを平らげた後は、多分私というメインディシュを平らげるに違いない…! 手始めに柔らかいお腹にかじり付き、破れ出た皮膚からはみ出した柔らかい内臓を思う存分味わう事だろう。 ばりばり、ぐちゃぐちゃ。ずるずる、ぐちゃぐちゃ。 かくして、私が提案したお料理サバイバルという間抜けなイベントは提案者の私が招かれざるゲストの獣によって 美味しく頂かれるという何とも締まらない幕切れを向かえるのだろう。 自分で想像しておきながら、その残酷さに身震いが止まらない。嫌だよ…そんなの絶対嫌だ…!! 薄目を開けてみると、熊は5・6メートル先のゴミ箱から残飯を漁っている。何とか私の存在が気付かれる前に逃げ出さなくちゃ… 私は物音を立てないように仰向けからうつ伏せになり、匍匐前身の要領でずるずると熊から距離を開ける。 胸がこすれて痛いが、そんな事気にしてる場合じゃない。 何とか10メートル程の距離を開ける事が出来た。簡易キッチンから何とか山道へ近づく事が出来た。 私はどっちに逃げればいいんだろう。ウサギを狩る時は上り坂に追い込んだ方が良かったんだっけ? それならば、山頂を目指して逃げればいいんだろうか。…けど、それじゃますます麓から離れてしまう事になる。 半分パニックになっているせいか、思考が支離滅裂になってきているのが自分でも良く解っていた。 「ンモウウウウーーーーーーー」 あれ?どこかで牛の鳴き声がしたような?…って、牛なんかじゃない!さっきの熊に気付かれたんだ!! 私は必死で駆け出していた。どっちが山頂でどっちが麓なんて考えもせず、ただひたすらに駆け出していた。 想像しているよりずっとのどかな熊の鳴き声に少々拍子抜けしながら。 駆け出した私の後を熊が追いかける後音がどんどん近付いて来ている。10メートル程度のビハインドはあるのだろうが、 野生動物と人間の体力差を考えると、その距離はあっという間に縮められるに違いない。 走れ走れ!!とにかく逃げなきゃ!! 山道をひたすらに、道が続く限り走り抜ける。どこをどう走っているかなんて確認する余裕は無かった。 何百メートル走れば、この獰猛な獣の追跡を振り切れるんだろうか。 今の私に出来る事は、何も考えずに両足を可能な限り動かして熊を振り切る事だけだ。 心臓が破れそうなくらいに高鳴っている。それは熊に追いかけられるという恐怖よりも、必要以上に急な運動をしたと いう事に対して体が悲鳴をあげているんだろう。息があがり、足元はもつれ、ちょっとした段差で何度か危うく転びそうになる。 誰も観客のいない山の中で、世にも珍しい熊との長距離走の結末は、多分私が足を縺れさせて転倒するか、心臓麻痺で 倒れるかという絶望的な二択しか残されていないのだろう。華麗に登場した凄腕のスナイパーが熊を狙撃してくれるとか、 突然熊が飽きて追跡を諦めるなんて奇跡的なシチュエーションは、想像するだけで虚しくなる。 こんな時でも現実的というより、諦観しがちな自分の思考回路が自分でも嫌になった。 必死に走りながらも、私の頭はすでに想像する結末は、「この間抜けな長距離走勝者の熊は賞品として、私という新鮮な 獲物を思う存分食い散らかすに違いない。」という夢も希望も無い想像で満たされつつあった。 ちぇっ。ちょっと不公平だよね、こんなの。競争相手の熊には豪華な賞品が約束されているのに、私には何の賞品も無し。 これだけのハンデ戦に勝ったからには、それなりのご褒美を用意して欲しいくらいだ。 こんな事になるんだったら、部活内容はもっと体力勝負のゲームを増やさなければならないかも知れないなぁ。 月に一度はスポーツ勝負。…詩音と監督に頼んで雛見沢ファイターズに補欠として参加するのもいいし、そこまで大仰な 事をしなくてもサッカーの真似事をするだけでも、基礎体力は養われるだろう。 …必死で熊から逃げながら、我ながら馬鹿馬鹿しい思考が頭の中を駆け巡る。命がけの長距離走をやっているのに反して、 頭の中はとんちんかんな考えを巡らせている事に、我ながら苦笑した。 どうせ死ぬなら、生きているうちにやっておかなくちゃいけない事が沢山あった筈だ。 園崎家の次期当主は誰になるのか。婆っちゃのお守りは誰が引き継ぐのか。 …ううん、そんな事よりも、せめて圭ちゃんに一言謝りたかった。 圭ちゃん…圭ちゃん…。 素直じゃなくてごめんなさい。 いつも男の子みたいに接しているくせに、都合のいい時だけ女の子として見てほしいなんて、わがままだよね。 今日だって、つまらない意地や体裁を気にしなければ、圭ちゃんを傷つけなかったし、楽しい休日を過ごせたはずなのに。 胸の奥がチクチクと痛み、涙が溢れてきた。 まずい、前が見えなくなって……… 「魅音んんんん!!!!!!!!!!!!!!!伏せろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!」 ■第六章 絶体絶命 け、圭ちゃん!?どうしてこんな所に!? そ、そんな場合じゃない!!ふ、伏せなきゃ!!! ドサッ!!! 「きゃあっ!!」 伏せるというよりは、無様に転んでしまった。激しい痛みが全身を包む。右足に強烈な痛みを感じたが、それが熊の一撃に よるものでは無く、捻挫だったのは不幸中の幸いだったのかも知れない。 そして、転んだ拍子に仰向けになった私は、目の前の光景に絶句してしまっていた。 いつの間にか私の背後まで迫っていた熊は獲物である私を仕留めようと、その大きな腕を横なぎに振ったばかりだった。 遠くで見た時からは気付かなかったが、想像以上に巨大な熊だった。血走った目。赤黒い口元から覗いた牙。 鋭い爪を称えた大きな腕…こんな獣に追いかけられていたのか、私は…!! そして幸いにも圭ちゃんの声で身を伏せた私は、運良く熊の一撃をすんでの所でかわしたらしかった。 ヒュンッ…ボコォッ!!!! 「グゴォォッッ!!!」 圭ちゃんの投げつけた握りこぶし大の石が、熊の顔面に直撃する。致命的なダメージには程遠いが、奇襲攻撃を 仕掛けられた熊は少なからずたじろいでいるみたいだった。 声のする方向を見てみると、山道の右上の丘に圭ちゃんの姿があった。 「大丈夫か、魅音!!」 「け、圭ちゃん!?」 「てめぇぇ!!!!!!!!このクソ熊野郎がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!」 咆哮しながら、斜面を駆け下りた圭ちゃんは、両手で竹槍を構えて突進して行った。 「あ、危ないよ圭ちゃん!私の事はいいから早く逃げて!!!」 「俺の仲間を食い殺そうとしたバカ熊がぁ!!!絶対に許さねぇぞぉぉぉぉ!!!!!!!!!」 ドスッ!! 熊の腹に竹槍が刺さる。しかし、その分厚い脂肪のせいで致命傷にはなっていないようだった。 竹槍を少しでも深く突き刺そうと、足を必死で踏ん張る姿を見ていた私に圭ちゃんは必死で怒鳴りつけた。 「魅音!!!!!何やってるんだよ!!このスキにさっさと逃げろ!!」 「や、やだよ!私が逃げたら圭ちゃんが熊に殺されちゃう!!」 「バカ言ってんじゃねえ!女の子に熊の相手なんかさせられるか!!いいから逃げろ!!」 ミシミシ…ミシミシ… 竹槍を抜こうと身をよじった熊の力で、さほど太くない竹槍は大きくしなり、今にも真っ二つに折れそうだった。 バキッ。 そう思った瞬間、もろくも竹槍は真っ二つに折れてしまった。 「圭ちゃん、早く逃げて!!」 「大丈夫だ!俺が何とか食い止めるから、その隙に逃げろ!!」 「足を…足を捻っちゃって…ごめん…」 「なら、このバカ熊を仕留めるまでだぜ!!」 腹に竹槍が刺さったまま、熊は圭ちゃんに向かって袈裟懸けに腕を振り下ろした。 「おっと、あぶねぇ!!」 バシィッ!!ミシミシッ!! 折れた竹槍で熊の一撃を、済んでのところで圭ちゃんは受け止めた。奇妙な鍔迫り合いがしばらくの間繰り広げられたが、 竹槍がもう一度折れるのも時間の問題だろう。何とかしなければ…!! その時、私のズボンのお尻ポケットにサバイバルナイフがあった事を思い出した。とは言え、折畳式で刃渡りは15センチ 程度の小さなナイフだがこのまま手をこまねいてなんかいられない!! 「圭ちゃん、私も戦う!!」 言うより先に、私はサバイバルナイフを開いて圭ちゃんの元へ駆け寄った。 「バカ!逃げろって言っただろう!!」 「圭ちゃんを見捨てて逃げるなんて出来ないよ!!私達、仲間だよね?仲間の危機を見捨てて逃げるなんて出来ないよ!! 圭ちゃんは私の危機を救ってくれたんだ!!圭ちゃんがこのまま熊に殺されるなら、私も一緒に死ぬよ!それが仲間だから!!」 「仲間か…よおし魅音!!このバカ熊の喉がガラ空きだ!一気に突き刺してやれ!!!」 苦しい状況なのに、いつもの不敵な笑顔で応えてくれる。 …悔しいなあ。その笑顔に惹かれてしまっているのを再確認してしまう。 気力も体力も限界のはずなのに、心の底から元気が湧いてくる。 「やあああああああああああああああっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!」 私は、気力を振り絞って両手にサバイバルナイフを握り、熊の喉元めがけて一気に突き出す! ドスッ 「グルルルルル…ゴブッ!」 どうやら気管にまで刺さったらしい。低い唸り声に混じってヒュウヒュウという声とも音ともつかないものが熊の呼吸に 混じってきている。 熊の喉元に突き刺さったサバイバルナイフからだらだらと生暖かい血が流れ、私の手を真っ赤に染め上げてくる。 その瞬間、強烈に意識が遠のいていくのが、自分でも良く解った。血にまみれたもう一人の私がケタケタと狂ったように 笑いながら、私という人格を侵食するかのような嫌な感覚が全身を包もうとしていた… ああ、これは悪夢なんかじゃない。私の中にいる、もう一人の私。血と拷問を心から楽しむ、もう一人の私。 乗っ取られる。摩り替わる。支配される。けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ… …その時、誰かが力強い手で私の両手を包み込んでいる事に気が付いた。 「しっかりしろ魅音!!もう一息だ!!」 薄れ掛けた意識を現実に引き戻してくれたのは、圭ちゃんだった。滑り落ちそうなサバイバルナイフの柄ごと、私の手を 包み込んでくれている。 「これで終わりだ!!うおりゃああああああああああ!!!!!!!!!!!」 「ゴフ…グルオオオオオオオッ…」 喉元から血を流しながら、事切れた熊がズウン…と仰向けに倒れ込んだ。 その姿を確認しながら、同時に私の意識もそこで途絶えた…。 ■第七章 悪鬼の誘惑 「…魅音…弱虫の魅音…。その臆病なあんたの人格は消えていいんだよ?くけけけけけけけ…」 頭の中で誰かが語りかける。それは多分、夢の中で笑い狂っていたもう一人の私のようだった。 「あんたもズルい人間だよね。血生臭い汚れ仕事は全部私に任せておいて、自分だけは平凡な人生を送れると思ってる。 しょせん私もあんたも同じ体に宿った人格なのにさ。自分の手を見てごらん…数え切れないほど殺めた人間の血に塗れている。 そんなあんたが人並みの幸せを掴めるとでも思っているのかねぇ…あははははははははははははははははははは」 違う!そんな事ない!私は私の手で幸せを掴んでみせる! 「自分の両手を見てみなさいな。その両手は生臭い血に塗れている。それはいくら洗っても落ちやしない。けど、それを恥じる事があるの? あなたが望むなら、指先ひとつを動かすだけで、邪魔者は全て片付くんだよ?こんな素晴らしい力を捨てられるのかなあ? 何の力も無い、ちっぽけな女として生きていく事なんか出来るはずないじゃない。…さあ、一緒になろうよ。あんたが望むならば、 何だって出来る。何だって手に入る。…一緒にこの世界を楽しみましょうよ…くくくくっ・・・あははははははははははははははははははは!」 うるさい!あんたが誰かは知らないが、あんたの思い通りになんかなるもんか!あんたなんか園崎魅音にとりついたただの鬼だ! 私は私の人生を歩むんだ!たとえどんなに非力でも、敷かれたレールの上で得る力なんか、私の力なんかじゃない! 私は私、園崎魅音だ!私の幸せは、私自身の力で掴むんだ! 「馬鹿な子だねぇ…きっと後悔するよぉ…あははははははははははははははははははははははははははは………」 「…い…おい!魅音!大丈夫かよ!しっかりしろ!」 …ぴたぴたと頬を叩く音で、頭の中に鳴り響く声がかき消された。急速に現実の世界へ引き戻される。 …あれ、私、どうなっちゃったんだっけ? 目を開けると、目の前に心配そうな顔をした圭ちゃんが現れた。 「魅音!大丈夫か!」 「圭…ちゃん…?」 「突然気を失ったからびっくりしたぞ。どこか怪我してないか?」 「大丈夫だと…思う。捻挫も思ったより大した事無いみたいだし。」 「そっか…。良かったな。」 「…あっ…」 圭ちゃんは私の頭を優しく撫でてくれた。ちょっと照れたようなとびっきりの笑顔で。 「ひっく…ひっく…うわあああん…!」 とても暖かい感情が私の胸を満たす。それはずっと昔か、それともつい最近なのか。 いつかどこかで感じたデジャヴなのかも知れない。 ぽろぽろと流れ出た涙が、止まらない。抑えていた感情が溢れ出す。 私は幼子のように、圭ちゃんに抱きついて泣きじゃくっていた。 「ぐすっ…ぐすっ…こわかった…こわかったよぉ…」 「大丈夫だぞ。熊は俺達が倒した。もう心配ないからな。」 私が怖かったのは、熊だけでなく気を失っている間に頭の中に響き続けていた「声」。 あのまま圭ちゃんに起こされなかったら、あの恐ろしい「声」に支配されていたのかも知れない。 けれどもその声も、今はもう聞こえない。 そんな恐怖から開放された安堵感と、圭ちゃんへの愛しさがごちゃ混ぜになった感情から、みっともなく泣きつづけてしまった。 けれど、圭ちゃんは茶化すどころか、泣きじゃくる私の頭を優しく優しく撫でつづけてくれた。 それからどれ位の時間が過ぎたのだろう。何とか落ち着きを取り戻した私を見て圭ちゃんが声をかけてくれた。 「どうだ魅音、立てるか?」 「うん、大丈夫だと思う…いてて。」 起き上がろうと身を起こした瞬間、右足に痛みが走る。参ったな、ちょっと立てないかも知れない。 「仕方ねーな。よっこらしょっと」 「ふぁ!?」 圭ちゃんは、私をおぶってくれた。うわあ、やだやだ!恥ずかしいよこんなの! けれども圭ちゃんは赤くなって嫌がる私を気にもせず、ふらつく足で仮設炊事場へと運んでくれた。 「…圭ちゃん?」 「何だ」 「…ありがとう。」 「…おう」 ■第八章 意外な敗者 それから仮設キッチンに到着するまでの間、私は言葉をこれといった言葉を圭ちゃんにかけなかった。 ただ、背中の温もりを感じていたかったから。 そして二十分ほど経過しただろうか、集合場所の仮設キッチンが見えてきた。レナ達はすでに集合しているようだ。 「圭一くん、魅ぃちゃん!どうしたの、その格好!」 レナが驚いて駆け寄る。無理も無い。二人ともぼろぼろで体のあちこちに血が付いていたからだ。 「いや〜、おじさん熊を見つけたんで、食材にしようとしたらこのザマでさ。危うくこっちが食料になるところだったよ。 あっはっは。まいったまいった。」 「圭一くん、それ本当なの!?」 「ああ、二人で何とか熊を仕留めたんだけど、料理するヒマが無かったんだ。魅音はヘマって足をくじくし。 おかげで重たい魅音をおぶってこの長い山道を歩いて戻る羽目になっちまった。」 「な、ひどいな圭ちゃん!これでもダイエットしてるんだからねー!!」 「それで、魅ぃの足は大丈夫なのですか?」 「うん。痛みはそんなに無いんだけどさ。歩いて帰るのがしんどかったから圭ちゃんタクシーを利用させてもらったよ。ははは。」 「まあ、お二人ともご無事で何よりでしたわ。」 「熊は私達じゃ持って帰るのが無理っぽいからさ、後でうちの方に連絡して引き取ってもらうよ。みんなにもお裾分けするからね。」 「く、熊さんなんてどうやって料理いたしますの〜!?」 「臭みが強いから、ハーブと一緒に蒸すとか、いろいろ出来ると思うよ?はぅ〜、熊さんお持ち帰りぃ♪」 「いやまあ、お肉としてお持ち帰りなんだがな。いや、レナなら熊を丸々一匹担いで帰れるかも知れないぜ?」 「ああ〜!圭一くん、ひどいんだぁ!」 頬を膨らませて抗議するレナの姿を見て、みんなが大笑いした。私達の無事が確認された事で、みんな緊張の糸が切れたらしい。 レナは私と圭ちゃんをチラチラ見てくすくす笑いながら、沙都子と梨香ちゃんに何か耳打ちをしている。…何だろう? 「えっとね、魅ぃちゃん。いま沙都子ちゃんと梨香ちゃんに相談したんだけど、二人とも夕食審査の時間に間に合わなかった みたいなんで、圭一くんと魅ぃちゃんの二人が罰ゲームという事に決定しました〜。」 「げっ、マジか!ひでえなみんな〜」 「罰ゲームの内容は、レナさんと梨香とわたくしで考えたんですわ。このメモ通りに明日は行動なさって下さいね〜」 「そんなに厳しい罰ではないんで安心するのですよ。にぱ〜☆」 渡されたメモ用紙の中身を読んで、圭ちゃんは訝しげに唸っている。 「魅ぃちゃん、はいこれ。」 満面の笑みでレナが手渡してくれたメモの内容を読んで、私は愕然とする。 「なっ、何これ!?れ、レナぁ、覚えてろぉ〜…」 くすくす笑うレナを前に、私は耳まで赤くなる。 「それじゃ魅ぃちゃん、日が落ちる前にお開きの合図をお願いするね☆」 「えー、ごほん!それじゃ、みんな今日はお疲れさま!ちょっとアクシデントがあって夕食審査はお流れに なっちゃってごめん。予定を急に変更しちゃって悪いけど、夕食は各自お家で食べてくれるかな。 後片付けは済んでるみたいだし、これでお開きとするよ。暗くなる前に気をつけて帰ってねー!では解散!」 めいめいに荷物を持って山道を降りる事にする。幸いにも捻挫はひどくないみたいだったので、私もみんなに混じって 歩いて帰る事にした。 「魅ぃちゃん、明日の罰ゲームのお手伝いするから、明日の朝にお邪魔するね。」 「とほほ〜。まあ仕方ないか。そのへんはレナに任すよ。」 あんな突飛な罰ゲームを思いつくなんて、参ったな。苦笑いする私に、レナはいたずらっぽい笑顔を浮かべている。 「それじゃ、おじさんはここで。レナ、圭ちゃん。気をつけて帰るんだよー。」 「うん、魅ぃちゃん。また明日ね☆」 「おいレナ。何だよ明日って。」 「ふふふ、圭一くんには内緒。それより、明日の罰ゲーム忘れちゃダメだよ?」 「ちぇっ、解ってらぁ。んじゃな、魅音。熊肉楽しみに待ってるぜー!」 私はレナと圭ちゃんに手を振り、家路につく事にする。 ■第九章 お節介な罰ゲーム 月曜日の朝。俺は慣れないスーツを着込んで、興宮の駅前でレナ達のメモで指定した場所で立ち尽くしていた。 ラフな格好が好きな俺としては、親父の主催するホームパーティーでしか着る事の無い堅苦しいスーツなんぞ 滅多に着る事が無い。どうもネクタイって奴は好きになれないぜ。 時計の針は9時50分。待ち合わせの時間まで後10分だ。手持ちぶたさの俺は、ポケットから昨日レナ達から 手渡されたメモを取り出し、再度内容を確認してみる。 「圭一くんへ 昨日は残念だったね。それで、罰ゲームの内容なんだけど明日10時に興宮の駅前で、ある人を接待して下さい。 目印は白い帽子に、赤いリボンを付けている人です。 P.S. 出来れば、お小遣いを前借りしておいて欲しいな。色々と物入りだと思うから。      レナ」 …再度読み直してみたが、さっぱり意味がわからん。幸いにも昨日両親に「人を接待するから、小遣いくれ」と 頼んだら、締め切り明けで上機嫌な親父が5千円を手渡してくれたのは嬉しい誤算だったが。 さてと、そろそろ接待相手を見つけなくちゃならないんだが、どこにいるんだろうか。 ぐるりと周囲を見渡してみると、白い麦藁帽子に赤い花かざりをしている女の子を発見した。 おおっ、なかなかの美少女みたいではないか!白を基調としたフリフリのサマードレスは清楚さと色気を両立させて いて、萌え心をくすぐる事この上無し!しかもサマードレスの上からでも確認出来る豊満なバストラインは、恐らく この女の子の豊満なおっぱいを既製品ではこのフォローし切れないんだろう。いいねえ!誠に良し! 麦藁帽子のおかげで顔は残念ながら確認出来なかったが、長い髪と口元のルージュを見る限り総合点はかなり高そうだ。 …って、よくよく考えたらレナの指定していた接待する人って、この女の子じゃないのか?だとしたら何て素敵な 罰ゲームなんだ!ちくしょうめ、なかなかレナも粋な計らいをしてくれるじゃないか! 緩む口元を抑えつつ、俺は女の子に声をかける事にした。 「あ、あの。ひょっとして待ち合わせの方でしょうか?」 そう言いつつ俺は女の子の顔を確認しようとした。遠くでは解らなかったが、長い髪をツインテール状にしていて これまたポイントアップじゃないか!うひょー!辛抱たまらん! 「はい…け、圭ちゃん!?」 「…ええええ!?お、お前魅音じゃねえか!」 何ぃぃぃ!?どういう冗談だよこれは! 「な、なな何で魅音がここにいるんだよ!」 「私も罰ゲームでここに来てるんだってば。ほら。」 真っ赤になりながら、魅音は一枚のメモ用紙を俺に見せる。どれどれ… 「魅ぃちゃんへ 罰ゲーム残念だったね。捻挫は軽いものだったみたいで安心しました。 で、罰ゲームの内容だけど、とびっきりかあいい格好で朝10時から30分間興宮駅前で立っててください。    レナ」 「な、何だこりゃ!」 「これって結構キツい罰ゲームだよね〜。おじさん、まだ羞恥プレイなんて早いと思うんだよなあ。あはは。」 「…魅音も、そのおっさん臭い発言がなければいい線いってると思うんだがな。」 「…え?」 な、何でそこで赤くなって俯くんだよ!普段のラフな格好じゃ気付かないが、こいつこうやって見ると…結構な美人だよな。 「け、圭ちゃんも今日はビシッと決めてるから気付かなかったよ。」 「まあ、俺でもたまにはよそ行きの一張羅ぐらいもってるからな。」 プッと魅音が噴き出す。 「やだなあ。私達、こうやっておめかししてても何も変わらないなあ。」 「そんな事ないぞ。少なくとも今日の魅音は、き…綺麗だ。俺の罰ゲームは今日一日魅音をエスコートする事らしいから、 俺はその大役を全うする義務がある。…って訳で、こうしていてもバカみたいだから、どこか行こうぜ。」 「…うん。」 赤くなりながらも、魅音は俺の腕をとって微笑んでくれた。そのまま二人ともぎこちない足取りで商店街を歩き出す。 「ああ〜何ですのもう!じれったいったらありゃしない!折角のラブラブシーンなんですから、もっとこう、ガバッと 抱き合ったり熱いベーゼを交わすくらいの事はして欲しいものですわねぇ!」 「さ、沙都子ちゃん、声が大きいってば!気付かれちゃうよ!」 「沙都子はさいきんえっちなのです。けれど、成長の証が見れてボクもうれしいのですよ。」 駅前から少し離れた物陰からごそごそと声を殺して圭一と魅音のやりとりを観察する三人。 「レナさんも一体どういうつもりですの!?圭一さんも魅音さんも見てられないったらありませんですわ!」 真っ赤になって憤慨する沙都子。それはまるで圭一に好意を寄せているのは自分も同じなのに、と言わんばかりの剣幕で。 「ごめんね沙都子ちゃん。」 静かに優しい笑みを湛えながら、レナはゆっくりと喋りだした。 「私は圭一くんも魅ぃちゃんも大好き。あ、もちろん沙都子ちゃんも梨香ちゃんもだよ。…けどね、最近魅ぃちゃんの 元気がなくなってる事に気付いたんだ。」 「レナさん…」 「普段は元気で活発な魅ぃちゃんなんだよ?けどね、時々、ふっと悲しそうな顔をする事があったの。最近は一日に何度も。」 「…気付きませんでしたわ。」 「その悩みの原因が、魅ぃちゃんの実家での事なのかどうか、魅ぃちゃん自身の事なのか。それすらも解らない。何度か 魅ぃちゃんにそれとなく聞いてみたんだよ?何か悩み事があるんならレナに教えてくれないかな?って」 「それで、魅ぃはどう答えたのですか?」 「明るく笑って、ごまかされただけだった。…悔しかったし、悲しかった。私達では魅ぃちゃんの悩みを救ってあげられない のかな…って。レナが雛見沢に戻って来て、クラスに溶け込めるかどうか不安だった時に、魅ぃちゃんにはずいぶん救って もらったんだよ。明るく話し掛けてくれて、部活にも誘ってくれて。」 優しい笑顔で話しながらも、レナの瞳は少しだけ蔭りを帯びる。 「レナが悩んでいる時に、魅ぃちゃんは力になってくれた。…けど、魅ぃちゃんが悩んでいるのにレナは力になれなかった。 けど、圭ちゃんといる時の魅ぃちゃんは、本当に嬉しそうだったんだよ。」 「いつからその事に気付いていたのですか?」 「…おもちゃ屋さんでゲーム大会をやった時だったかな。お土産のお人形を圭一くんに貰った時の魅ぃちゃんの笑顔、 びっくりする位に綺麗な笑顔だったんだ。」 「それで、親友が救われるのならば自分の気持ちを犠牲にしても構わない、と。とんだ甘ちゃんですわね、レナさんは。」 「沙都子ちゃん…」 「心配いらないのです。沙都子がああ言う時は照れ隠しで言っているだけなのです。にぱ〜☆」 「それより、あの二人がもっと過激な行為に及ぶかどうかを見届けるのがわたくし達の責務でしてよっ!をほほほほっ!」 照れ隠しに圭一達のいる方向へ路地裏からダッシュしようとする沙都子。 「あっ、沙都子ちゃん、足元っ!」 言うより早くゴミに足をひっかけて豪快に転倒しかける沙都子。それを受け止めようと駆け寄るレナと梨香。 「あ、あわわわわわわわ」 どっしゃーん。 「な、何やってんだよレナ…沙都子、梨香ちゃんまで!さ、さては俺たちの滑稽な罰ゲームを笑いに来たな!」 圭一と魅音の目の前にぐちゃぐちゃに絡まりあって現れる三人。 「あ、あはは。三人でちょっとしたお散歩かな?かな?」 「そ、そうですのよ!をほほほほ、路地裏の隠しショップを探していたら道に迷ってしまって転んでしまったのですわよ。」 「み〜☆」 サンドイッチ状態に倒れこんだ三人に、すっと手が差し伸べられた。 「魅ぃちゃん…」 魅音の顔に満面の笑顔が浮かんでいる。 「あっはははは、バカだなあ、みんな。罰ゲームの観察に来て、自分たちがひどい目にあってりゃ世話ないよ。」 「全くだぜ。ま、俺と魅音も恥ずかしい思いをしたし、おあいこってとこだな」 圭一と魅音が笑いながらも三人を助け起こす。 その時に、皆に聴こえないようにレナの耳元で魅音がウインクしながら小声で囁きかける。 「…ごめん、心配かけさせちゃったね。レナ」 「魅ぃちゃん…」 「けど、もう大丈夫。完全復活だよ。今日の気遣いは嬉しかったけど、こういうのはこれっきりにしてくれるかな。」 「…」 「レナとは親友だけど、恋敵としてもフェアにやっていきたいからさ。ね?」 魅音はいたずらっぽく笑いながら、小指を差し出す。そしてレナも爽やかな笑顔で魅音の小指に絡ませた。 「くすくす。そうだね。これからもよろしく、魅ぃちゃん☆」 くすくす笑いが、やがて大笑いに変わる。二人でじゃれ合って笑うさまを圭一達はぽかんと眺めていた。 「さあて、罰ゲームの続き開始といこうかな。今日のおじさんと圭ちゃんはお大臣だからご飯とかパーッと奢っちゃうよ? みんな、今から食べ歩き勝負としゃれ込むってのはどうかな?」 「魅ぃちゃんにさんせーい!」 「ボクはソフトクリームがいいのです。いちごさんとバニラのダブルが食べたいのです☆」 「仕方ありませんわねえ、今日はお二人にご馳走になりますわ!をーほっほっほ!」 「よおし、それじゃ今から昼飯勝負といこうじゃねえか!魅音、ハンデはやれないが昨日の借りはきっちり返してやるぜ?」 「圭ちゃんこそ、慣れない服着てるからって速攻リタイアしないで欲しいねー?あっはっは!」 勢いよく皆で駆け出す姿に、通行人が何事かと驚いた顔をする。ワイワイとはしゃぎながら、あちこちのお店を駆け巡る。 みんな、笑顔を満面に浮かべながら。 そして、いつもの調子で楽しい時間が始まる。 じゃれあい、ふざけあい、そして笑いあう。 遠くから聞こえるひぐらしの鳴き声が、まるで彼らを見守っているかのようにいつまでも響いていた。 短い夏を、少しでも懸命に生きるように。 彼らの夏は、まだ始まったばかりなのだから。 <完>